懺悔
「人は自分が救われた方法でしか人を救えない」のならば、私がパートナーから救われることはないのだろう。私は、パートナーに救いを求めている訳ではないからそれでいい。でも、救われていない私をパートナーが許容できるかどうかはまた別の話だった。
そう言って彼女は長い息を吐く。煙草は辞めたんじゃなかったっけと意地悪く問いかけた僕を見て、彼女は薄く微笑んだ。
作業
ひとつこなす度に、終わる度に、深い息を吐く。ひとつ終わると楽になる、幸せになる。
「小説や漫画じゃこの辺のいいタイミングで救世主のような人が現れる。でも私には現れない、ここは現実であって紙の上じゃない。13のときにそう学んだ」そう彼女は言った。親族の葬儀を終えた彼女と久しぶりに食事に行ったときのことだった。親戚が多く、祖父母も人より多く持ち、彼女にとっての冠婚葬祭はそのほとんどが“葬”だった。でもこれでやっと終わった。もう暫く葬儀はないと思う、誰かが事故でも起こさない限り。そう言いながら彼女は、微笑む。私はその横顔が存外好きだった。
そのうちいい人が現れるよ、そんな気がする。あなたはきっと何らかの形で救われる。と心の中だけでつぶやく。なんとなく声には出せなかったけれど。
帰り際に彼女が、風に消されるような声でポツリと呟いた。私は自分のことを可哀想がったりしないし、感情の皺寄せを他人に投げて寄こしたりしない。とてもゾッとしたような気がするのに、今となってはその時の彼女の表情を、よく思い出せない。
夏至
こういうことを、私はきっと忘れないんだろうと思った。
煙を吐きながらいろいろなことが頭を過る。ボーっとしていながら様々なことが巡っている。「アブストぐらい読めよって思う」「金曜日12時半に上の研究室」「これどうやるの」「トナー注文してもいいですか」「また飲みに行こう」エトセトラ、エトセトラ……。脳に取り込まれて、取り込まれ過ぎて整理できないものの中からいらないものを吐き出しているようだと思った。
最近覚えてしまった煙草だけれど、それが習慣になるのには多くの時間を要しなかった。今では日中に2、3回は席を立ってしまう。突如として襲ってくるイライラを、表面に出ないくらいに落ち着かせるためにはいい息抜きになっていた。この習慣について友人から手厳しく批判されることはあったものの、それと私の習慣とは何の関係もないと思っていた。
誰もいない喫煙所。安っぽいプラスチックで仕切られた1畳とちょっとのスペース。灰が溜まっている3つの灰皿。ゴミの入っていないゴミ箱。機械排気の音。足元を這う蟻。建物の西側に位置するそこ。
無造作に置かれた椅子から立ち上がって、日が長くなったなと思う。それでも暮れていく西の空を眺めながら、こういうことを、私はきっと忘れないんだろうと思う。
服毒
「体に悪いことしてる方が、精神的に落ち着くもんだよ」と、彼女は言う。
最近肩身が狭くてね、特に若い女なんかは好奇の目にさらされるよ。女は黙ってスムージーでも飲んでろってかと思うけど、そんなことした方が体調悪くなるよね、絶対。体と精神足して100でしょ。そりゃあ常にハーフ・ハーフならいいけど、そんなことはまずないよ。体が健康な方が精神的にも落ち着くなんて話もあるけど、少なくとも私は違うかな。体に悪いことしてる方が生き生きしてる。仕事のプレッシャーも、煙草も、お酒も、コーヒーで飲む鎮痛剤も、不眠もいいもんだよ。最近自炊なんかもしてみてるけど、それだったら食べない日の方が精神的には落ち着いてる。昔から親とか先生とか周りの人に大事にされないのに慣れすぎて、自分で自分のこと大事にするのも気持ち悪いんだ。早死にするね、コリャ。
そう言いながら、不健康そうな顔でケラケラと笑う彼女が、僕は好きだった。彼女を大切にしたい僕のことを、彼女は嫌いだった。